板門店訪問記  
1994年に韓国を訪問した時に北朝鮮との境にある『板門店』を訪問しました。これはその時の記録です。時間や金額、連絡先等はその当時の物です。
訪 問 記 情 報 編 

1994年3月14日(月)晴れ
本日は今回の韓国旅行の目的である『板門店訪問』の日である。板門店とは ソウルの北方約60kmにある場所の名前で、1953年に朝鮮動乱の休戦 協定が調印されたところです。 つまり現在も戦争中で、その一時休戦している最前線に行くわけである。 60kmと言えば東京から東海道線に乗って茅ヶ崎ぐらいの距離である。 訪問ツアーの出発時間は11時であり、集合はその20分前までにロッテ ホテルの大韓旅行社のツアーカウンターに集まる事になっている。
11:00 定刻にロッテホテル駐車場より出発。 バスは普通の大型バスで、 全ての座席が埋っていて人数は50人ぐらいでその9割が日本人である。 これは後で気がついたのであるが、国毎にバスを設定しているみたいで途中 の解説も全て日本語であり、外国の人にとってはつらそうであった。  そのほかに欧米人だけが乗っているバスもあり、その定員にあふれた人が こちらのバスに乗せられたのであろう。
バスは市街を抜けると地下鉄3号線に沿って進む。独立門の脇を通り地下鉄 の終点の駅(旧把撥)の駅を過ぎるといよいよ戦時下の国家であるという事 が認識される。 それは、道路切断用のバリケードである。これは立体交差の様な橋が所々に 架かっているが、それは巨大なコンクリートの固まりでいざという時は爆薬 により支えの部分を破壊し巨大なコンクリートを道路の上に落し、戦車や 装甲車・兵士が通れないようなバリケードを築く為の物である。 必ず2個ペアであり、鉄道も同じ様な物が設置され、バリケードの脇は山で あったり、テトラポットの巨大な物が並べてあるバリケードだったりするが これから板門店までの間に数え切れないぐらい設置されている。
フィリピン軍参戦記念塔のある公園で5分間のトイレ休憩を済ませ次の休憩 は統一公園である。
12:00 統一公園着、丁度1時間かかった事になる。ここには3っつの大きな 塔があり、ここで25分間の休憩。 この公園を過ぎると程なく国鉄京義線の終点の駅(ヨグサン)の駅を過ぎる。
この先で鉄道が進行方向左から右に変った所に『鉄道分断点』がある。南北 が統一されれば、釜山からヨーロッパまでは1本の線でつながれる事になる が現在はここで鉄路がとぎれている。
12:30 臨津閣に到着。ここはイムジン河の手前にあり朝鮮動乱の時の戦車や 飛行機などが展示されている。 このイムジン河の所に民統線が引かれてい て、普通の人が立入り出来るのがここまでであり、朝鮮動乱の時に引上げて きた人や韓国の人たちが北を見るための望遠鏡を備えた建物がある。
12:40 いよいよ民統線を越える。ここでパスポートのチェックがある。検問所 の所でMPが乗込みパスポートの写真と顔をチェックする。
ここからは撮影禁止のエリアである。 イムジン河に架かる橋は旧国鉄鉄橋を 利用した物で一方通行になっている。この鉄橋を渡る時に『自由の橋』を見る 事が出来る。この橋は朝鮮動乱の時の捕虜13000人がこの橋を渡り自由 世界に戻った事からつけられているが、現在は使われておらずモニュメント として残っている。
12:50 アドバンスキャンプ(UNITED NATIONS COMMAND ADVANCE CAMP)通称は キャンプボニファス(BONIFAS)に到着。
ここは私たちの様な訪問客の保護の任務に就いていて、ブリーフィングルームや売店・食堂がある。
ここで昼食を採ることになるが昼食は13:00からでありそれまでの間はキャンプ の中を自由に歩き回る事が出来る。 勿論、このキャンプ内での写真撮影は 自由に行ってもよく、売店には訪問記念のメダル・キーホルダー・Tシャツ 帽子・絵はがき・写真(資料)集などを販売しており、写真集・絵はがき 帽子をおみやげにした。
13:00 昼食開始。この昼食はツアーの費用に含まれていて、メニューは ローストビーフに付け合せはマッシュポテトとマカロニでスープにパン・ コーヒー・オレンジジュースがつく。 
ここでブリーフィングの時間が14:00 からになる事が告げられ、昼食後は再びキャンプ内を歩く事にする。
外に出ると天気は急変し雪が降り出していた。 キャンプ内にはテニスコート やミニゴルフ場・プールなどがあり、軍用車を見なければ板門店の直前の キャンプであることが信じれれない。
14:00 ブリーフィング開始。ここで誓約書にサインをする。ブリーフィング では板門店内で起った『ポプラ事件』『遺体返還』の事や板門店内での注意 についてスライドにて説明を受ける。板門店を含む軍事分界線はDMZ(The Demilitarized Zone)でこの中では拳銃以外の武装はしてはいけない事になって いて、その境界は総延長241kmを200m毎の看板にて示されている。
韓国側はハングルと英語にて、北朝鮮側はハングルと漢字にて書かれている。 (そうである)板門店は直径800mの区域で、この中は南(国連)と北の 共同警備区域(JSA)であり、板門店内での分界線はセメントの柱で示される。 北の警備は一般は赤の腕章を、将校はオレンジの腕章をつけ訪問者は緑の布 をつけている事などを説明される。
14:30 ブリーフィング終了。
14:40 バスで出発。バスの中で国連のゲストを示すカードを配られる。 これは15cm×10cmぐらいの物で常に上着の左胸につけておかなくては ならない物である。ここからは国連軍の軍用車の先導が付き、バスの中にも 護衛の兵士が乗込む。
ここからさらに北に駐屯している部隊は24時間有事に備えエ ンジンを常にかけ、ガソリンを満たし1分以内に戦闘態勢に入れるようになって いるそうである。
14:45 チェックポイントα着。ここでMPによるゲストカードのチェック がある。 ここから先は写真撮影禁止区域である。
ここからの道の両側は地雷原 となっているそうである。 ほどなくDMZの標識を越える。前の方に民間の 人が入れない民界線の事を書いたが、この先に『自由の村』と言うのがあり 民間人232名が住み農業に従事している。この村の住人は納税・兵役の 義務から免除されている。同じ様な村が北側にもあり、その距離は1800m だそうである。 その北の村の国旗掲揚塔は160mの高さで世界一の物である。
14:50 チェックポイントβ着。 ここで2回目のチェックを受ける。 最後のチェックポイントであり、かなり厳しい。
ここを過ぎると共同警備区域(JSA)である。まず、帰らざる河のほとりに 行く。ここは『ポプラ事件』のあった所であり、その切株が残っている。 次に第三哨舎に行く、ここは丘の上にもうけられていて別名「訪問者用展望台」 と言う物で、北の村や帰らざる橋の様子がよく分る。
いよいよ自由の家に向う、ここで初めてバスを降りる。 雪がいっそうすごく なってきた。
自由の家とは写真などでもよく出てくる8角形の建物で展望台 となっている。ここで説明を聞いた後、軍事停戦委本会議場に入る。 ここで は中央に緑の布の掛ったテーブルがあり北と南の会議をする場所であり、いく つかの建物が並んでいる。
薄いブルーの建物は国連の管理であり、白いものは北の管理である。北側の 入口をMPが警備している中を少しだけ北側に入る。 
真ん中のテーブルの ほかにも天井から何本かのマイクが下がっていて、ここで拾った音はソウル などでモニターされているそうである。 ガラスの窓のすぐ外には北の兵士がいる。ほんの20cmの所に北の兵士が いるが、手を振ることや挨拶することは堅く禁じられている。
ほんの10分ほどで会議場を出てバスに乗り、アドバンスキャンプに戻る。 板門店の共同警備区域内にいたのはほんの30分ほどであったが、とっても 長い時間に感じた。
15:45 アドバンスキャンプを出発し一路ソウルに向いバスは進む。
15:55 民統線を越える 17時過ぎにロッテホテル着で解散となり、板門店訪問が終った。
*帰ってきてから板門店の会談が突然中断したなどの話を聞くと、あの時の 緊張感がよみがえってきます。
鉄道を遮断するブロック 肉弾十勇士の像
ジャーナリスト18名殺害の追悼碑 フィリピン軍参戦記念
鉄道分断点 臨津閣の展示
ブリーフィングルーム Forever in Front of Them All
ゴルフ場 テニスコート
車両はエンジンをかけたまま 警備のハマー&乗ってきたバス
林の中の北朝鮮警備兵 区域内ではこれが必要
先導のハマーの後ろを行く 自由の家の全景
自由の家の天井 北朝鮮側の訪問者
北朝鮮側の警備体制 北朝鮮の兵士